自動車保険

はじめに

契約したのに、事故に遭わなければ、めったに思い出しもしないのが、自動車保険である。
しかし、ある日突然、加害者なり被害者になって、「えっ、保険てこんなことしかやってくれないのか」と幻滅するのも保険だし、「ああ、入っていてよかった」と安堵するのも、保険である。
この心情は、保険をよく知らなかったほど、その起伏が激しい。
しかも、安堵よりも、幻滅の方が、はるかに多いのも現実である。

これは、自動車保険に全部の罪を着せるのは酷である。保険を十分に理解し認識していなかったということにも、大きな罪がある。
それに、規制緩和・自由化を迎えて、契約時だけ、それも保険会社の営業マンの口上を鵜呑みにして保険をお仕着せされる時代ではなくなっている。まるで、スーパーで安く良質で、しかも自分に合った商品を買えるように、自動車保険も選ぷ時代になっている。
そのためには、保険のいろいろな知識が必要だし、いろいろな断面を見ておくことが肝要である、と思う。
そのような考えから、自動車保険を角度を変えながら観察してみた。何事にもさまざまないくつもの顔があるように、自動車保険にもある。

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保険会社の善し悪しは、事故を起こさないとわからない

保険料の高い低いだけで自動車保険を選ぶと損をする

事故に遭った時、「保険会社はよくやってくれた。保険に入っていてほんとによかった」と思うのはどういう場合だろうか。
車を運転していて加害者になると、気が動転してしまって、もう、どうしていいかわからなくなる。もし、もし被害者の怪我が重く、ICUにでも収容されたら、その不安と焦慮は大変なものになる。

直後の対処を何とか済まし、何はともあれ保険会社に事故連絡しその状況を話した。その担当者は、要領の悪い説明だったのに適切な質問で的確に状況を把握したのか、「了解しました。明日一番で当方から病院に出向き、治療費について話をしておきます。あなたが直接お支払いになる必要はありません。同時に、相手側にお会いして、今後の賠償についても説明しておきます。あなたがなさることは特にありませんが、お見舞いはしておいてください。賠償については、当方で一切を行うのでご安心ください」という電話の向こうでの心強い返事であった。

こうしてやがて幾日か経って示談解決となる。その間、被害者側からは何らの苦情も要求もなかった。担当者は、しばしば経緯を知らせてくれ、賠償の推移が手に取るようにわかったので不安は感じなかった。
その後、被害者から、「あの保険会社は、なかなか誠意があった」という言葉を聞いている。
さらに加害者自身の車両損害も、不満なく車両保険金で修理が出来た。実際は少量ではあったが飲酒があり、現場に急行して来たパトカーの警察官に検知されていたのだが、担当者は、「いいでしょう。少量のようですから、運転には支障がなかったという判断で、車両保険はお支払いします」ということになった。

このような保険会社の対応を、契約者は期待している。事故となった時に、自動車保険が強力な盾に素早くなってくれることを望んでいる。
休日、時間外、深夜を問わず相談に乗ってくれ、自分に代わって、被害者側に時間を置かないで対応することに大きな価値があると考えている。治療費などに、自分自身が自腹を切るのも嫌だし、被害者に一時的にでも負担させるのを避けたがる。
金銭の負担が、被害者側の心証を悪くさせ、直接文句を言われることに強い嫌悪と恐れを抱いている。
加害者は、保険会社が被害者側を慰撫し、火の粉が降りかからないように動くことを要求している。そのための自動車保険ではないか、ということなのである。

それに、契約者は保険会社が自分自身には杓子定規でない、そして思いやりのある寛容な対応をすることを望んでいる。飲酒があったのに、それが少量だからということで、それ以上は深く追及もせずに保険金を支払ってくれたことに、大いに満足している。
それは自責の念とは異質の心情である。

ドライバーにとって良い保険とは、事故に際して加害者の立場から自分を解放してくれ、自分の損害も含めて、自腹を切らないで解決してくれた保険ということである。勿論、保険料が安いに越したことはないだろう。しかし、いったん事故になったら、保険料が高いか安いか、などというようなことはいっぺんに消し飛んでしまう。事故の賠償の世界では、関係のないことである。
保険料がいくら安くても、その対応に不満があれば有難味はなくなり、次は他の保険会社にしようと思う。

保険の真の価値は、会社の見てくれや広告の文句からは、決して見えて来ない。事故になって初めてわかるということだ。いま、巷に溢れる保険会社の自動車保険の契約勧誘の謳い文句の裏にあるもの、つまり事故になった時に果たしてどう対応してくれるのか、ということに思いをいたすことが不可欠である。

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